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【ゆすらうめ異聞】の管理人による何でもあり☆ボーダーレス(笑)裏日記です。戯れ言つづり、とも言う?
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どこまでが、消費者の安全を守るうえで当然の要求で、どこからが、行きすぎ(過保護だったり、責任転嫁だったり)なのか。

って、ちょっと考えてしまうと思います。

風呂用浮輪で転覆事故

こんにゃくゼリー10年前より硬く、「危険」

どんな理由であれ、簡単に避けられるはずの事故で人が亡くなったら、ショックだと思うけど。でも、なんでかな。このふたつのニュースに共通するものに、ちょっと首をかしげてしまったのは、わたしだけ?


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赤ちゃん用の浮き輪はもちろん、自分で自分の命を守れない赤ちゃんの安全のために、ありとあらゆる安全対策が取られるべきだと思います。どこかに不備があるのなら、当然、直さなくちゃ。

でも、ここに挙げられた赤ちゃんの水死の例はいずれも、お母さんが目を離した間の出来事ですよね。悲劇なのはまちがいないけど・・・お母さんが、24時間いつも赤ちゃんを見張っていられるわけ、ないけど。

でも、元気な赤ちゃんが、一瞬でも目を離したすきに何をするかなんて、予測がつきません。浮き輪の中で突然あばれるかもしれないし、ジャンプするかもしれないし・・・ね。なのに、わざわざ危険なお湯の中に、ひとりで放置しておくってのは・・・?

浮き輪に子供の命を預けるのではなくて、お母さんが、まずは赤ちゃんを(暴れても飛び回っても)安全なところに移しておけば、防げた事故なんじゃないかなあ。

よそ者の結果論、ですけどね・・・。


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こんにゃくゼリーのほうは、もっと「ええ?」度が大きいような気がします。子供やお年寄りに危険だから、販売をやめさせろとか、製造規格を変えろとかって、本末転倒じゃないかなあ。

その理屈で言ったら、お餅だって、ステーキだって、海草サラダだって、納豆だって、それこそ白いご飯だって。全部ぜんぶ、子供やお年寄りにとって、固かったり、噛み切りにくかったり、喉にひっつきやすかったり・・・そう、「危険な」食べ物になりうるんじゃないかしら。

要は食べるほうと、食べさせるほうが、双方ともリスクを理解して、そのうえで食べるか食べないかの判断をする、ってことのような気がします。

こんにゃくゼリーが人を殺すんじゃなくて、人間がそのリスクを承知してるかどうか、でしょう。モノのせいじゃなくて、人のせいだと思う。赤ちゃんの場合と同じで、きちんと判断ができるなら、それを食べた人の責任だし。リスク判断ができないような子供だったり、お年寄りだったりする場合には、そばにいて面倒を見る人間の責任・・・ってことに、なるんじゃないか、と。


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ふと、「100年愛」で、香藤くんがいってた言葉を思い出しました。

ただ楽しくて安全なだけの場所なんてない、って。自己責任というか・・・幼い洋介くんや、取り乱してる洋子ちゃんに要求するのは、いっそ厳しいほどの概念だけど。でもあれは、ものすごく香藤くんらしい考え方だったな。

そういえばかつても、最後に自分を守るのは自分だけだって、さらりと言ってましたね。その辺の厳しさ、潔さが、彼の魅力なんだよねえ。

すべて自分の責任として跳ね返ってくる厳しい場所に、あえて身をおきたい、と言った岩城さんも、同じ気持ち。

・・・すごいなあ。(最後は結局、春抱きでした。)
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こんなニュースを見かけました。

職場でも家でも寂しいものです

薄れる人のつながりに警鐘

レポート(政府刊行物)自体はこちらから>> 国民生活白書

はてさて、そもそも政府の「国民生活政策」ってモノ自体に、抵抗があるというか、非常に懐疑的ですのでね(苦笑)。(どれほど崇高な理想や、内閣の真摯な姿勢があったとしても、それでも。国民ひとりひとりのプライヴァシーに、国家権力が介入しようとするのが、わたしはイヤなんですよ。生理的にダメなのね。だから、ちょい点が辛いのはご容赦。)

これを読んで、ふと思ったのは。

たぶんおおむね、このレポートはホントなんでしょう。昔ほど簡単に、人(の好意)を信頼できなくなったとか、誰もが忙しすぎるとか。そういう現代社会の「弊害」らしきものについては、いろんな識者が言ってますものね。

たしかに、「家族」「地域」「職場」は人にとって、フィジカルな絆の基本だろうと思います。で、そういう基盤が脆弱になってきてる・・・ってのは、事実なんだろうと思います。

でも、そのかわりにさ?

フィジカルな位置確認を必要としない、そう、ちょうどこんなサイトやブログを通した関係が、いっぱい生まれてますよね(笑)。SNSや携帯のコミュニティが、雨後の竹の子のようにどんどん増殖して、イマドキのわたしたちの生活を補完してるように思うのは、わたしだけ?

血縁や地縁といったものが、必ずしも時代遅れだとは思いません。でも、それって限界がありますよね~。どこまでも無限大に、つながって広がっていくものではありません。

その点ネットのつながりは、そういうフィジカルな限界を、いとも簡単に超越しちゃいますよね(笑)。従来なら、すれ違うことさえなかったであろう人たちに、わたしはこの2年ほどで、ずいぶん多くめぐり会いました。

血もつながってないし、年齢もだいぶ離れてるし、出身地も出身校もちがうし、学歴もキャリアも家庭環境も、住んでるところも、何から何まで接点のない人たち。でも、同じ「春抱き」を好きってのが絆になって、繋がって、それこそ世界中に広がってますよね。距離も国籍も言語も、障害にならないくらい。

・・・こういう繋がり方は、たとえば100年前の人たちには想像もつかないでしょう(笑)。

前述したとおり、こういうバーチャルな関係のほうがいいとか悪いとか、そういうことじゃありません。地縁や血縁を、完全に塗り替えるものだとも、思ってません。でも、これだって立派な人と人のつながりだよ(笑)。

(ネットで人と知り合ったことのある人ならお分かりだと思いますが、やっぱり、気の合う人とそうでない人がいるし。つきあいが表面的で終わる人と、ちゃんと友達になっていく人と、いますものね。・・・もっともこれは、わたしの「春抱き」ネットライフの経験だけで言ってますが。)

そういうのも考慮に入れたら、必ずしも「現代では、人間同士の関係が希薄になった」なんて、言えない・・・ような気がします。
なるほどねえ・・・。

こだわり力でせどり長者

上記は、AERAに載った記事ですが、こんなんがビジネスになるんですね~。隙間ビジネスというか、オタク産業というか。趣味が高じて、それで食べていくようになった・・・って感じみたいですものね。

(需要と供給の狭間で、上手に利ざやを稼ぐこと自体は、ビジネスモデルとして珍しいものではありませんが。)

考えてみれば、『春抱き』限定とはいえ、わたしもオークションのお世話になったことがありますし(=同人誌のことね)。そう、まったく縁がない世界でもないですよね(笑)。(といっても、某さまに頼んで買ってもらっただけなので、未だにオークション処女ですが。)

たしかに半分冗談で、自分の持ってるもの・・・たとえば、キス本つきのイラスト集とか、GIGOLOのCD-ROMとか。そういうものを、「オークションにかけたら、けっこうな値段がつくかもね?」なんて、話題に上ることはありますから。(何冊持っていようと、わたしにとっては愛しいお宝ですから、手放せないんですけど。)

自分自身が扱う商品を好きじゃないと、長くはやってられないでしょうけど。もひとつ、こういう商売は仕入れが命。労を惜しまずこまめに動き回って、地道に売れる商品を確保しないと、始まりませんよね。ものぐさな人間には、無理に決まってます。

それから、「商品」を好きすぎてもダメでしょう(笑)。

冷めた目で、ある程度は突き放してモノを見られなかったら、売り買いできないでしょうし。だいたい、「あとでオークションで高く売ろう」と思って買い占める・・・なんてのがバレバレの行為は、ファンには嫌われるからね~。

・・・わたしには絶対にできない(笑)。こういうのって、向き不向きがあるよな~。
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